自分を知るためのツールはたくさんある。でもそれ以上に機会があることを忘れてはいけない。

自分を知るためにその機会が訪れているのに、自分の狭い価値観でそれを必要とか不必要とか仕分けたりしていないか。それともその機会が訪れたことすら気づかないほど忙しく過ごしてはいないか。

どんな自分でも受け入れることができるのであれば、その先つまづくことなく期待する我が人生を手にし、幸せを感じ、その喜びを積み重ね生きることを約束しよう。

私はそう言われたように聴こえた日から、【どんな自分でも受け入れる】挑戦をし続けている。

だから
出る杭を打たれるような苦痛を感じる時も、一歩を踏むその足にまとわりつく不安を感じる時も、誰の応援も期待も感じられず孤独で寂しい時も、すべてを否定されたと感じ怒り狂う時も、どんな時もそんな自分を受け入れてきた。

受け入れるとは変化することではない。
受け入れたその先に変化変容がある。そしてその変化は自分以外の何かになることではなく、より自分に近づくことだ。

【どんな自分でも受け入れる】
出過ぎた杭をそのままでいいと認め、自分が誇らしく感じる時も、何の不安もなく軽やかに一歩を踏む時も、自分の心のまま、気持ちのまま表現し、喜びで満ち溢れた時も、それでいいんだ、と自分の中が愛で満ち溢れ安心する時も。

私の魂がよくここまで来たね、と語り掛ける。
いや、まだまだです。と返事をする私が好きだ。