The Energy of Life~運命を変え、創造する~
episode4|金子美奈子

「私、金子美奈子は20代の頃からいくつものアンテナを張り巡らせ、楽しいことや面白いことを見つけてはすぐさま飛びつき行動してきた。ある時は、単身で韓国に留学をして、韓国の伝統工芸を習いにいった。

知らない場所に飛び込むのは平気だ。人と違う事がしたい。

これまでの人生を振り返ると、常に自分に正直に生きたいと思い行動してきた。自分の山を自分のやり方で登りつめたいと思っていた。

私は29歳の時に結婚して、結婚6年目に待望の女の子「花」が誕生した。花は生まれつき呼吸中枢に病気があり、生後すぐから半年にかけて、ICUでの生活を余儀なくされた。この病気は症例が非常に少ない為、最初から病気だとはわからず、検査を受けていく中で病気が判明していくと徐々に私は花の病気を受け止めていった。

花は生後4ヶ月の時にチューブを入れるために喉に穴を開け、人工呼吸器と繋ぐ手術をした。
私は花の入院のことや病気のことで不安を感じていたのではなく、離れて過ごすことに不安を覚え、淋しくて仕方なかった。同時期に出産し赤ちゃんと過ごしている友人がとても羨ましかった。

花に会いたい一心で毎日病院に通い続けた。一人家で過ごす時間はその寂しさを紛らわすかのように、大好きな歌を口ずさんでは、愛おしさや色んな想いが溢れて涙する日もあった。

そんな日々が過ぎ、花が入院生活を終え、ようやく念願の親子3人の生活が始まった。当時は子育てをしている感覚ではなく、まるで介護をしているようだと感じていた。
花はよく寝た。よくある「なかなか寝てくれない」という問題もなく、泣き声を発しなかったので、イライラすることや、不眠によるしんどさは無かった。一方、花は失神することがあり、その度に呼吸が浅くなるのを見るのが最初は恐怖で心配だった。私が手動のポンプで酸素を送るということが度々あった。

花の将来が観えず不安だった私は、彼女が寝ているにスマートフォン片手に病気のことや療育、訓練のことを調べ、世間で言う「普通」というレールに花を乗せる為の方法を模索していた。実際色々な訓練を花に受けさせ、それが母としての努めだと信じて疑わなかった。

花の乳児時代はこの様に過ぎていった。

花は3歳になった頃から、自我に目覚め嫌なことがあると手足をバタつかせ騒ぐようになった。
私は花がなぜそんな行動をするのか分からず戸惑い、次第にイライラを募らせた。自分の思い通りにならない苛立ちで、花を叩いた。そして、気持ちを上手く表現できない花の成長に焦りを感じ始めた。

「このままでは、私も花も家族も幸せではない!」とこの憤りをどうにかしたいと思っていた時にクラウドナイン・エデュケーションの講座『おやべん』(※現在Cü 入門)を知った。

 

花が4歳になり、幼稚園選びをしていた頃、『おやべん』を受講した。
その時、講師をしていた代表のあっこ先生に花の病気のことを話すと「連れておいでよ、会いたい」とあっさりと言われた。その時のことをよく覚えている。その言葉は私にとって嬉しく、そんな言葉をかけてくれる人がいることにびっくりした。

というのも今までは、幼稚園に入る為にたくさんの注意事項を提示され、私はそれを歓迎されてはないように感じ淋しく思いつつも、病気だから仕方ないと諦めていた。

『おやべん』の講座中に、1人の受講生が、夢への一歩に踏み出すことを他の受講生に伝えた際、皆が心の底から喜びを分かち合う様を見て私は衝撃で心が震えた。こんな仲間が欲しいと強く思い、受講生の皆に憧れと関心を持った。

あっこ先生の「連れておいでよ」という言葉を頼りに、花をクラウドナイン・エデュケーションの『こどもの学校PLAYJAM』に連れて行くと、目の前には制限や制約ではなく、気持に寄り添い子どもに関わっている先生達や、溢れる気持ちを真っ直ぐに表現している子ども達の姿があった。

私は、どんな気持ちも大切にするという価値観に天地がひっくり返るくらいに驚き、これだ!と見つけた喜びでいっぱいになり、迷わず花を『PLAYJAM』に預けることにした。

私はここで、花が自分の成長を自ら求め、自分で引き出す人になる未来を観たのだ。
そして『おやべん』を学び続け、『わたし』の気持ちに向き合い始めると、徐々に苦しくなっていった。花が生まれる前、35年かけて培ってきた、思考や行動パターンが容易く私の前に立ちはだかり、邪魔をしたのだ。そんな私を心配し、関わり続けてくれた人たちに『上級講座』を勧めらた時も、私は素直になれずに頑なに抗った。

私より先に受講し、安心できる仲間を作り、生き生きと自分の人生を歩き出している人が羨ましかった。そして悔しかった。でもそれを認めたら負けてしまうようで、心底嫌だった。
今の私には満足していない。私だって成長したいし、本当はそれを誰よりも渇望している。そんな気持ちをもう誤魔化せなくなった私は、気持ちに正直になり受講を決めた。

あれ程までに抗っていたのに、決めた後はとっても安心したのを覚えている。「あーあ、ようやく素直になれた」と。

『上級講座』を受講していくうちに、私は『わたし』を徐々に知っていった。
本当は輪の中心に居たいのに、中々人に馴染める感覚がなくて、落ち込む『わたし』や、めちゃくちゃ臆病なのに強がったりするひねくれ者の『わたし』、色々な『わたし』を仲間に伝えていった。すると私より先に仲間が認めてくれた。それからは少しづつではあるが私も自分を許せるようになり、また前より増して成長したい思いが強くなり、奮起している。
私がより『わたしらしく』生き始め、本来の自分に回帰していくのと連動するかのように、娘の花がうんと自分を表現するようになり、花らしさが際立ってきた。それがとても心強いし誇らしい。振り返れば『PLAYJAM』に入った当初の花は、私の後ろに隠れモジモジしていた。が最近は見知らぬ人に話しかけ、突き進む大胆な行動にハラハラする。相変わらず何故そんな行動をするのか花の気持ちが分からずに、戸惑いもどかしい瞬間がたくさんある。しかし、私は『わたし』の気持ちに向き合い、花の気持ちに寄り添い、自分1人で無理な時は、仲間に聞きアイデアを貰う事を実践している。

花は今年から、小学生になる。
就学先が決まるまで私は、『上級講座』を受講しながらも、ざわめき落ちつかなかった。
行く未来は花が選ぶと頭ではわかっていたつもりが、心が腑に落ちていなかったので、私が花の為にはどの選択が良いかと思考し、頭ががんじがらめになっていた。しかし、『上級講座中』の関わりによって、とあることに気づいた。

大切なのは、花が何処に行くかではなく、何を感じ考え行動するかだ。それによって得る結果からまた学ぶことがある。
場所は関係ない。

私は今を受け入れた。そう思えるのは、私の観る角度が変わり、枠が広がったのだと思う。
明日はわからない。全ては花が決める事であり、その瞬間を心のままに生きるのだ。

私は、花のまんまで育っていけばいいと思っている。そして、私が『わたし』を受け入れたように、花もそのままの自分を受け入れるであろう事を知っている。だから今は、病気が治ればよいとも思っていない。金子家が未来のゴールに向かい共に歩いて行けば大丈夫なのだ。

とは言え、私、美奈子は旅路の途中。
まだまだ知らない『わたし』を知る事に夢中で、人と関わるのが怖いし面倒だ。どうせ私なんてと自己否定が止まない時もある。だからといって、俯いて目を閉ざし心を閉ざすなんて今の私には無理だ。
愛されたいし何よりも愛したい自分に気がついたから。

下手くそでもいい。こんな私と繋がる縁があり、仲間がいる事、それが果てしなく広がることを信じている。私は私の山を開拓し、これからも登り続けていくことだろう。

「肩書きの無い、自分のままでいられる枠がない場所をつくる」
そんな未来に向かい躊躇しながらも、大きな一歩を踏み出している私がいる。
(聞き手 熊川繭香)

**
あとがき

私が美奈子さんと出会ったのは、1年半前だ。
我が子を『PLAYJAM』に預ける事に決めた私は、『クラウドナイン・エデュケーション』のホームページを見て親近感を感じていた美奈子さんに、お決まりの社交辞令を書き連ねて、早速Facebookの友達申請をした。そこには、私の心がなく、お決まりの常套句(じょうとうく)があるだけだった。

そんな私に違和感を持った美奈子さんは、私に関わりそれを伝えてくれたにも関わらず、上っ面で生きていた私にとっては時にそれは面倒だった。
しかし、厄介な人だけど、面白いなと思い始めたのも束の間、美奈子さんはいつの日か心を閉ざし重く厚いバリアを張っていた。そこを打ち破る勇気や関心が当時の私には無かった。

一見彼女は、持ち前の好奇心で、日々を豊かに過ごしてるかのように見えたものだ。
きっと五感は少しの満足を感じていたのだろう。しかし彼女の心が渇ききっているのが私にも容易に観てとれた。だから紆余曲折を経て、美奈子さんが『上級講座』の受講を決めた時は本当に嬉しかった。
気になっていたのに関わる事を諦めていた私は、彼女が自分を素直に表現して、日に日に生き生きと逞しくなる姿を見て誇らしくもあり、負けるものかと発奮している。

美奈子さんの存在はいい意味で刺激的だ。1つ1つに拘りが有り妥協しない。面倒だが、面白い人だ。

そんな彼女が、ずんずんと進んだ先にはどんな世界があるのだろう。今、私はその先の景色を一緒に観ると決めている。


【プロフィール】


金子美奈子
1975年生まれ。動物占いは”落ち着きのない猿”。「そのままの自分で厚かましく図々しく生きて行く」がモットー。
結婚6年目に待望の一人娘を授かるも、出産後すぐに娘が難病を持つことがわかり、医療機器に囲まれた想定外の子育てをスタートさせる。
3歳を過ぎて未だ歩けず言葉がでない娘との関わりに戸惑い苛つきながら過ごしていた頃にCNE に出会う。娘の気持ちを感じるどころか、娘に気持ちがあることさえ感じていなかった事に気付き衝撃を受け、娘を「こども学校PLAYJAM 」に通わせながら「おやべん」を学び始める。


現在は持ち前の好奇心を発揮して「上級講座」「お客様を大切に育てる起業・経営勉強会」を受講中。そんな私をカタチにする活動をすることが近い将来の願い。

 

 


取材・執筆|

熊川繭香

熊川繭香
1975年生まれ 福岡市出身

3歳男児の母 待ち望んでいた子どもだったのに、関わり方がわからずに悩んでるさなか、子どもに発達障がいの疑いがあることを示唆され、深く落ち込み続けていく。
そんな時に、偶然見つけたプレイジャムに子どもを預けることになり『おやべん』と出会い、『上級講座』を卒業。
現在、四柱推命学を日々、学び、実践しています。
かつての私のように、苦悩から抜け出す方法がわからずにもがいている人、また自分らしく生きたいと願う人に発信していきたいと思い、ライターの仕事に挑戦中。

 

運命 変化 女性 CNE